ポケモンと一緒に育ってきた。
初代ポケットモンスターの赤・緑が発売された時、ちょうど私は文字が読めるようになった年頃だった。
今でこそ本当に小さい頃からスマホ等でゲームをしている子供も多いが、その頃のゲームは文字が読めてはじめてプレイできる物がほとんどで、つまり私はちょうどゲームの対象年齢に入った頃だったといえる。
まだゲームが今ほど普及しておらず、赤緑、あるいはその次のピカチュウ版などはクラスの中の裕福な子が持っているぐらいだった。
少し時代が進み、金銀発売の時に、一気に私の周りでポケモンプレイヤーが増えた。私も初めて買ってもらったゲームは銀(+ゲームボーイ本体)だった。
「通信ケーブルを持っている友達は崇められる」。今の子供からすると都市伝説のような話は、私の周り、および私と同世代の人にとっては懐かしい思い出である。
その後中学生、高校生になると、なぜか周囲でゲーム好きは鳴りを潜める。「ゲームをしているのは子供っぽい」「おたくっぽい」、そんな印象を抱く人もまだ少なくなかったので、何となく大っぴらにゲームをしていると言えない雰囲気があった。
その頃の大人たちの大半はゲームをせずに育った世代であり、大人からいい顔をされなかった。その影響を子供も受けて、ゲームは「オタクのもの」「子供が遊ぶもの」「良くない趣味」、そういう価値観が今よりも強かった。そんな中高時代だった。
なので、小学校高学年で一旦私のポケモン歴は中断する。(私の家庭の経済的事情であまりゲームを買えなかった期間でもあるが、)
そして、その「ポケモンと育った世代」、ニアリーイコールゆとり世代と言えると思うが、その世代が大人になった。子供を持つ人たちもいる。 社会に出て多少のお金を持って、好きなことが出来るようになって、コロナがやってきた。
コロナの自粛要請は、我々世代を再度ゲームに向かわせた。switchは在庫切れが相次ぎ、「あつまれ どうぶつの森」がめちゃくちゃ売れたのは我々世代の影響が大きいと思っている。
(どうぶつの森も、ついでに言うと大乱闘スマッシュブラザーズも、我々がゲーマーだった小学生の頃に発売され、友達と遊びつくしたソフトである。)
そしてゲームを再開した我々世代は、前作ポケモン(ソードシールド)もプレイする。大人の目や、大人びた同級生の目を気にしてポケモンから離れていたけれど、やっぱり好きなものは好きなのである。そして、自粛中だからゲームが売れるのは仕方ない、みんなゲームしてるのは普通だ、という安心感が芽生えたような気がする。
リアルの付き合いの中で、今回のポケモン新作を買ったという話をよく聞いた。もしかしたら、今までのポケモンもみんな隠れて買っていたのかもしれないが、大っぴらに、というよりは普通の、ありきたりの会話として話題にとりあげる程度に、「ゲームをする大人は普通」という認識が広がった気がしている。
長々と書いてきたが、何が書きたいかというと、周りのみんながあまりにポケモンを買うから、私も欲しくなってしまったという話であった。